すこし昔の話だけど、ずっとコンプレックスに思っていた。
最も痛感したのは、とある年に出た、とあるダイビングショップの忘年会で、たまたま隣りに居合わせたお客さんとの会話。
その方は、とある大手菓子メーカーの企画をやっている人だった。
僕は「アーモンドチョコの売上が1%変わる理由」なんかを大変興味深く聞かせてもらったのだけど、
相手の方は「こんな席で、なんでそんな話をしなくちゃならないのか」という感じで、すごく不機嫌で、帰るとき挨拶すらしてももらえなかった。
似たようなことは、それまでにも一杯あったけれど、僕は本当に話していて「面白くない奴」から抜け出すことが出来ないのではないかと気が滅入った。
そんな僕が救われたのは、間違いなく妻のおかげ。
僕と同じように猫と沖縄が大好きなだけでなく、妻は僕のしょうもないボケでも笑ってくれた。
今でこそ「そのボケはさすがに分からん」と放置されたり、
ボケと受け取ってもらえなかったお義母さん(大阪人のお笑いは実に厳しいのだ!)のために冷ややかに解説されたり、
必ずしも僕の意図どおりには受け止めてもらえていないみたいだけど(;^_^A
それでも僕の、最も良き理解者だと思ってる。
…と、そんなことを改めて書こうと思ったのは。
松本仁志の「語り」を、たまたま冷ややかな目で見たせい。
ちょうど何かの拍子で、話の確信の部分を聞き逃してしまっていた。
本人は「ふぎゃー」とか「うひゃー」とか、その面白い話を盛り上げようとテンションを上げてて、
周囲もそれに同調するようにバカウケしていたんだけど、
何の話をしているのか分からない僕には、(もちろん)全く面白くなかった、、、、
それで、ようやくハタと気づいた。
僕はコンプレックスを感じる必要なんて、ぜんぜん無かったんだ、って。
もちろんお笑いのプロはすごい。
気の滅入っている人たちすら元気づける、明るいパワーを持ってて、僕みたいな素人にはとても真似できない。
それでも、だ。
耳を傾ける気の無い人や、明らかに拒絶反応を示している人に対しては、全くの無力なのだと。
…という発見をして、僕自身はまた随分と日々が経ってしまった。
そのことを再び思い出したのは、たまたま村西とおる氏のブログを読んだせい。
「人の受け止め方は、受け止める人次第なのだ」
ということを、最も熟知しているプロが改めて語っているのを読んで、
僕も思わず書いてみたくなったのでした。
村西とおる氏がどんな人物かは、ここでは書かないけど。
もちろん、分かる人には分かりますよね♪