「自」みずからを「由」よしとする
こと
先週末、滝さんから呑みながら聞いた話。
面白いと思ったんだけど、原典を忘れてしまって、ちょっと聞きなおしたり調べなおしたりする余裕も無いので、自分の記憶を頼りに備忘録として書くよ。
あとで答え合わせするので滝さんよろしく。
明治から西洋哲学が持ち込まれるまでは…
そもそも「自由」という概念が無かった。
大抵の人間は、自らの土地を離れることも、職業を選ぶことも出来なかった。
もちろん、生涯の伴侶を自らの意思で選ぶことも。
概念が存在しない以上、言葉も存在しない。
だからfreedomやlibertyに対する訳語は、明治につくられたもの。
訳語を当てたのは福沢諭吉…ではなかった…っけ?
(ちがいました)
そうして改めて「自」「由」という字面を眺めてみると実に面白い。
つまり、何をしていいかを、自分で決めて、自分で納得するのが「自由」
なんでも勝手に出来るわけじゃないんだ。
自分が自分を許せないようなことは「自由」の中では出来ないの!
これは格好いいよなぁ。
僕はフリーランス、つまり「自由」契約者として仕事をし、今年で丸10年経つ。
随分と我侭を言わせてもらっているけど、それでも全てが自分の思い通りになるわけじゃない。
ときには自分の不甲斐なさに落ち込んだし、無理難題を押し付ける顧客の面倒を見たことも多々。
でも今なら言えるぞ。
俺は自由だ!!!!!