『自由だったよ』
(人違いだよの続き)
滝さんからお許しをいただいたので、全文掲載を。
西周ですがな。軍人勅諭の起草者でもあります。
萩津和野藩の出身で幕末に幕府の命でヨーロッパ留学しているお方です。
歴史的な外郭はWikipediaをどうぞ。
「自由」の概念はなかったけど、今の言葉で自由と呼ばれるような
状況が無かったかは不明です。維新以来、現在に至る教育の中では
「自由は無かった」となっているけど、勝海舟の父親なんか
トンでもない一生を送った人で、自由人と申さず何といわんや。
幕臣の身分も「御家人株」「旗本株」という名で売買できたのだから
今よりずっと自由な部分もあったワケです。
自由というのは仏典に由来しているとか、海外の知識、文物を
輸入する際に、豊富な漢籍の知識を元に理解をしようとした
苦労が伺えます。新しい漢字まで作って、中国にまで輸出された
ワケですが(「働」とか)、現在ではIT業界に顕著なように
見る影もありません。
中国語圏は頑張ってますよね。電脳とか軟体とか。
まあ、そんなところで。またね〜
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